来世の魔導書

壁打ちBlogです

無職は日常の9割を椅子の上で過ごしているので、体力が無い

 無職は常に座っている。特に何もやる事がないので、起きている時間の9割くらいは座っていると思う。私がそうだ。最近になって外出や運動を意識するようになったが、それでも8割は座っている。寝ている時間以外はほとんどパソコン前にいる。

 

 今日は机の上にラックを起き、その上にサブモニタ―を置いた。何の調整もしてないのに、ちょうどいい具合な目線の高さに設置できた。……これは神が「しばらくスタンディングデスクをやってみなさい」と言っているに違いない。

 

 これは天啓なのだ! ……と思いながら現在この文章を立ちながら打ち込んでいるのですが、まぁキツイ!!! 嘘でしょ? まだ少ししか立ってないのに、もうだるい。普段しない体勢になっているので、凄い違和感と疲労感が襲い掛かって来る。

 

 普段と同じ行動でもこうも違うのか、と思うと同時に「イスを考えた奴は天才だな」とも思う。たぶん人類で一番最初に座る行為を発見した人って「やべぇな」と感じたに違いない。

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 やべぇな。もう腰痛くなってきたわ。えぐいわ。はやく座りたい。こんなに座りたいと願った日は無い。私は絶対立ち仕事とか無理だわ。

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 今ちょっと歩いたら楽になった。立ちっぱなしが辛いだけで、歩くと楽になる。ちょっと屈伸するとだいぶ楽になった。どういう仕組みなんだこれは。

 

 立ちっぱなしだから「トイレいくの面倒だな」とか思わない。そのまま行ける。あれ、ひょっとしたら座っている事より、立っている事のほうがお得なのでは? そう思い始めてる。まだ初めて数分くらいだけど。数分だから新鮮に思えているだけかもしれないけど。

 

 日々の怠惰な時間が「ちょっと健康」になるのはお得ではあるが、明日になったら飽きてそうで困る。私はすぐ飽きるからな。何かを初めても速攻で諦める。そういう風に育ったし、そういう奴を許容してる社会も悪い(暴論)。

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 疲れたら200円の小さな椅子に座れば、パソコンと距離が取れる。これはこれで意識を現実に戻す事ができるのだけれど、私の現実は相変わらず暗い。先が見えないし、たぶん見えたとしても薄っすらと視界に入るがれきの山が、その先にある不幸を作り上げている気がしないでもない。

 

 まぁ、死ぬ間際に「アレをやっておけばよかったな」と思わない人生にはしたい。できる事はやって、できない事は「そういうもの」だと割り切ってから死にたい。遺書作成から始まり、私の人生は既に死を前提としたライフプランになっている…… あれ、なんか小説っぽい締めになりましたね。しめしめ。おしまい。