来世の魔導書

壁打ちBlogです

悪いニュースの悪いコメントをわざわざ確認しにいく悪い癖

 たとえば誰かが悪い事をしたり、暴言を吐いたりする。その出来事がまとめられ、記事にされ、そこにコメントが付けられる機能があるとしたら、そこはもう地獄絵図である。地獄絵図……という表現は正しくないかもしれないが、そこには「悪い事をしたならばそれなりの報いを受けろ!」と言わんばかりの強い言葉が存在する。

 

 わたしは強い言葉が苦手だ。正確には苦手になったと言うべきかもしれない。私がTwitterを辞めた理由の1つが、2chやアングラ系サイト、Yahooの記事に書かれるような強い言葉がTwitterまで(正確には私の元に)やって来たからだ。

 

 強い……と表現すると語弊があるかもしれない。だけども、私にとっては強いのだ。何となく賢く理論武装したような雰囲気の言葉のコメントに大量のイイネが付いていれば、何の根拠も無しに「そうだ! そうだ!」と脳内が騒ぎ立て、同じような(賛同するような)強い言葉を探す。探したくなる。そのループに陥ってしまう。

 

 強いというよりかは、魔性というか、悪魔的な魅力があるのだと思う。なんだか自分が強くなったような、偉くなったような、論破したような気分になる。実際は何も強くなって無いし、偉くもなって無いし、論破もしていない。

 

 他人の作った言葉で自分の頭を支配される。強い言葉は麻薬みたいなものだと思っている。事実はどうかは置いといて、私にとってはそうなのだ。

 

 その強い言葉で人生と時間、そして人格を狂わせられてしまうのは、もう嫌だ。どうにかしたい。どうにかできればいいなと思ってる。自分の言葉くらい、自分で決めたい。その勇気と決断力、行動力が自分にあるかは分からないが。おしまい。